自身の出産を機に「子どものために何かできないか」という想いが強くなり、30代半ばに名古屋でこの仕事に就きました。もともと英語や韓国語を教えていた経験もあったので講師という道もあったのかもしれませんが、先生たちのサポートをする方が、それまでの経験を活かせるのではないかと考えたんです。
そして2011年3月、東日本大震災が起こりました。出身地の仙台が大変なことになっている状況を知り、何もできない歯がゆさを感じる日々が続きました。
「今できることを今いる場所でやろう」、と気持ちを切り替えるのですが、気づけば「被災地のために自分は何をできるだろうか」と毎日考えてばかりいました。
東北の子どもたちがこれまでに経験したことがない、震災での体験。
その子たちが大きくなったときに、震災についての想いや支援してもらった世界各地の人たちへのお礼を自分のことばで直接伝えたいのではないか、伝えられるようにしてあげたい。地元仙台で英語を学べる場を広げることで、そういった子どもたちの想いをかなえられるといいなと思ったんです。同僚や上司にもその想いを聞いてもらっていました。
しばらくして東北への異動が決まり、地元の仙台に戻ることが叶いました。SVとしての私のミッションは、当時宮城県内で6教室だった東北エリアの在籍を拡大することです。
「震災で特別な体験をした町だからこそ、子どもたちにどんな環境でも生きていける力をつけて世界に羽ばたかせてあげたい。そのためには英語を学べる場である教室を広げたい」。
そんな想いで教室の誕生を支援してきました。私の想いに共感してくれた先生や、この先生と出会うために私は仙台に帰ってきたんだ、と感じるありがたい出会いが続き、教室は順調に増えていきました。
そんな中、山形県にある人口1万人強の町に教室を開校することになりました。